西川こんな人⑤/三十にして立てず四十にして惑って

西川こんな人

こんにちは
整体トレーナー 西川菜緒子です。

 

西川が
「今なぜこんな仕事をしているか」
「どんな人なのか」を語るシリーズ5話目。

 

①西川こんな人/モヤモヤ自分探し時代
②西川こんな人/暗黒計画!発動
③西川こんな人/保育士→福祉業界へ
④西川こんな人/40目前でランと出会う


 

リーフ 語の子曰く… の有名な一節(為政)

 

十五にして学を志す(志学)
三十にして立つ(而立)
四十にして惑わず(不惑)

 

15歳で点取り屋の勉強しかせず
30歳で自立できなかった私は

自立するため保育士試験に合格し
その後、介護関係の資格も複数取得しました。

(ほんま資格ばっか…💦)

 

 

しかし40過ぎても
まだ惑っていました(泣)

 

自分に向いていて
自分も好きなことって何?

 

 

資格を活かせる職場はあるのに
そこで働いても
どこかミスマッチに感じる自分がいました。

 

 

走り始めて楽しくなって
頑張ったら故障して
必死で通ったリハビリ室。

 

そこで見た
女性トレーナーさんの仕事ぶり。

 

こんな仕事いいなぁ。
自分の知識や技術で
直接、人の助けになれて喜ばれて…

 

と思ったものの
「なりたい!」と強く思えたのは

現役サッカー選手である
息子たちの存在があったからです。

※詳細は[元祖バージョンアップ復帰]

 


 

 

長男が中2のとき骨折し
サッカーができなかった6ヶ月間
カラダづくりに取り組んだところ
奈良トレセン(県代表)に選出され

次男もブランクはあったものの
選出されました。

 

そうしたいきさつがあって
同期や先輩後輩、
そして保護者の方々から
相談を受けるようになりました。

 

すでに数回故障していた私は
走れないジレンマや体重増(←これ私には深刻)、

復帰してからの
思うように動けない苦しさが
分かりすぎるほど分かります。

 

息子も自分もそうだったように
ケガして停滞を余儀なくされている
選手たちを見ると

なんとかして
スムーズに復帰させてあげたい!

そう強く思うようになっていました。

 

「トレーナーっていいなぁ。なりたいなぁ。」
とうすぼんやり思ったものの

 

はて、
どうやったらなれるのか?

 

例のリハ室の女性トレーナーさんに
なぜこの仕事を?と尋ねてみたら

 

~大学在学中(たぶん筑波大)に
トレーナーを志し渡米して
資格取得。

帰国後は某自治体の運動事業を立ち上げ
その後スカウトされこの病院に…~

 

それはそれは素晴らしい経歴で
なれる気がしなくなってきました⤵

 

 

今から単身アメリカとかよう行かん…

私みたいな途中から体育会の人間には
輝かしい実績も人脈もない…

 

仕事にするには
誰もが分かる資格が要るよね…
やはり医療系の資格かな…

 

看護師(これは昔からなりたかった)
柔道整復師、鍼灸師、理学療法士…

 

でも一人前になるまでに
何年かかるんやろ?50歳くらい?

 

それに今どきは
スポーツトレーナー志望の
若い子があふれてる。

 

運動の世界で女で50歳?
仕事なんかあるやろか?

 

物事には何でも旬があるやん?

今回はさすがに
その旬は過ぎてるんかもな…

 

保育士受かってから
がんばったら叶うって思ってきた…

きたけど、世間でよく言う
「あきらめなあかん時もある」。
私にもそんな時がとうとう来てしまった…?

悲しく頭の中で
くるくる考えてばかりいました。

 

当時は知的障がい者が働く作業所で
支援の仕事をしてた私。

(閑古鳥が鳴いてた喫茶コーナーを
メニューを一新して立て直した)

 

言葉が通じなかったり
通じても話が通じなかったり
しかも一人一人の性格、
障がいの個性があっての支援は

 

非常に心の骨が折れる仕事で
ストレスが食べる方に行き
体重が増えました(また?笑)

 

ただ、ここでの仕事は

 

「口で言って通じるなんて甘い。

自分が思うように
相手に動いてもらうには
相手が動きやすい工夫と準備を
自分がしておく必要がある」

 

これをイヤっちゅうくらい学べまして
これも後々のトレーナー活動に
大いに役立つことになりました。

 

 

けれども
トレーナーになりたいという想いは
完全によどんで止まっていました。

 


 

 

そんなある日、

長男の中学サッカーの先輩(当時高3)と
メールでやりとりした時のことです。

 

彼は美大に進学する夢を持ってたのに
高校でトラブルを起こして退学しかかってたので
それはもったいないと
ついついお節介で説得したんですね。

 

その流れで説得する立場の私が
自分のよどんだ現状(あきらめようか)を
メールで吐露したところ
思わぬ返信が返ってきました。

 

「俺にとってのおばちゃんは
昔から明るくて元気で

普通の人がしないような
チャレンジをしてきたおもろい人やから

あきらめるとかそんな寂しいこと
思わんとき。

俺も高校は続けるようにする。

夢に向かって頑張るから
おばちゃんも頑張ってな!」

わぉ!

小学生時代から知ってる
無口なその子(ちなみに美少年)の文面は
あまりにも意外でビックリしたのですが

 

あぁそうか…!
この子にとっての私は
こんな風に映ってたんやと
有難くてじーん…となりました。

 

そして
むくむくと力が湧いてきました(←単純!)

 

まさに「気を取り直す」って状態。

 

 

そこにきて、もう一押しありました。

 

作業所のこもごもが虚しく疲れてて
友達についつい愚痴を並べてしまったとき
キツーい一言を放たれました。

 

「人間24時間、
時間だけは平等に与えられていて
それをどんな風に使うかはその人次第。

短い人生、限られた時間で何を優先すべきか?

それは結局その人次第。
私は毎日それを考えて生きてる。

優先順位を考えもせず
もったいない過ごし方してるのは
他でもない菜緒子さん自身でしょ?!」

 

ぐうの音も出ませんでした。

 

 

とても傷ついて、しばらくは浮上できず
それでも落ち着くと
「その通りやな」と思えました。

 

 

本当にやってみたいことが出来たのに
こんなとこで不満抱えながら暮らして
時間を無駄遣いして歳ばっかとってる。

 

もうそんなこと、やめとこ!

 

 

やっと決意でき
いそいそと退職の手続きを取りました。

 

アメとムチが
いっぺんに降りそそいだようなものですが
思い切り押してもらえました、背中!

 

 

どうやったら
トレーナーになれるのか?

 

 

どんな手段があるか分からんけど
調べつくしてみようと
片っ端から資料請求しました。

 

 


 

 

そうして作業所を退職した2010年
初めてのフルマラソン、
第1回奈良マラソンに出場しました。

 

ひたすら量をこなす練習に明け暮れ
本番までの3カ月間で
900㎞走ってまして(笑)

 

初フル、4時間16分台で完走。
(沿道に応援多くて幸せだった)

 

 

アップダウンの多いコースで
最後の8㎞くらいから
右の脛(すね)が痛くて死にそう!

 

結果的にシンスプリントに。(涙)

 

かかりつけの整形外科の主治医と
担当の理学療法士に
「???」と疑念を持っていたため
スポーツ専門整形に通うことを決意。

 

(電車で往復3時間かかるっちゅうのに(笑))

 

そこで私に
運命的な出会いが待ち受けていました。

 

つづく…


 

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Posted by 西川菜緒子