元祖 バージョンアップ復帰

こんにちは。 西川菜緒子です。

 

今日はスポーツ選手向けの
「バージョンアップ復帰プログラム」が
できた原点をふりかえります。

※現在は中高生アスリートの
パーソナルは受け付けていません。

 


 

 

中高年になってマラソンデビューした私は
ケガや故障に見舞われてばかりで
整形外科のリハビリ室の常連。

 

そこでトレーナーという職業を
知ったのですが
トレーナーになりたい!という夢を
叶えられることができたのも

「バージョンアップ復帰プログラム」
ができたのも自分の故障グセと
息子たちの存在がきっかけでした。

 

今日はそんな
元祖・バージョンアップ復帰の話を
したいと思います。

 


 

 

こんな私には26歳と22歳の
サッカー選手をしている二人の息子がいます。

 

サカママ歴で言えば18年になるでしょうか。

 

 

長男は筑波大学蹴球部を卒業後、
モンテネグロ2部のチームと契約し
プロサッカー選手としての
キャリアをスタートしました。西川翔大Wiki

 

次男は鹿屋体育大学サッカー部で
4年間プレーし卒業を待つ身です。

 

(2人とも推薦ではなく
センター試験を経た「叩き上げ」組)

 

 

長男は中学2年のとき
(私がトレーナーという職業を知った頃)
試合中、腕を踏まれて骨折→
リハビリという経験を半年間で2回もしました。

 

1回目の骨折はクラブが
12年ぶりに近畿大会出場を決めた決勝戦。

 


(この写真は前日の準決勝戦で出場を決めた日…)

 

 

ゴールしたのは良かったけれど
相手DFとゴールネットにもつれ合いながら転倒、
腕を踏まれて骨折し救急搬送。

 

 

相手のスパイクで腕に穴が空き
開放骨折と診断されました。

 

 

整復手術の麻酔から覚めたとき
クールな子だと思っていた長男が

 

「3年生とはジュニアの時から
ずっと一緒にやってきたのに

秋には引退してしまうのに
こんなことになって
もうあの人らの役に立てない。

 

治るのも間に合わない…!
もう二度と同じチームで
サッカーができない!!」

 

そう言って病室で号泣したことは
今思い出しても心がギュッとなります。

 

 

せっかくの近畿大会でしたが
出ることは叶わず
ギプス姿で給水やボール拾いのサポート。

 

一言も愚痴も文句も言わず
誰よりも出たいだろうに
黙って動いていたあの姿は一生忘れられません。

 

 

でもそのときは
私もそんなに知識がなく

 

町の整形外科に通い
本に載っていたトレーニングを研究して
ランニングや何やひたすら取り組みました。

 

 

秋になり3年生が引退したころ復帰し
新チームのリーグ戦が始まった途端
また!囲まれて転倒し
同じ腕の同じ骨を折りました。

 

 

当然ですが
公立中学にトレーナーなどいないし
この頃には私もすっかり
スポーツ科学オタクになっていたので

 

スポーツ専門の整形外科で
診てもらおうと決心しました。

 

「何とかして治してやる。
この子のこれまでを
ぜったい!泣き寝入りで終わらせない。

治ったときは
ケガする前よりバージョンアップさせてやる!」

 

元々「男親みたいだ」と言われる私ですが
このときもアハハ!鼻息荒いですね(笑)

 

 

こんな風に決心した瞬間が
今の私のプログラム
「バージョンアップ復帰」につながるとは
このときは夢にも思いませんでした。

 

 

自分のリハビリで
何度も通ったスポーツ整形に
ぐねぐねした狭い山の峠道を
車で40分かけて2日おきに通う日々。

 

リハビリと並行して
転倒して踏まれて骨折するんなら
転倒しない身体を作ればいいんちゃう?と

オタクの本領発揮で
身体づくりに取組みました。

 

中2の反抗期でしたが
彼も必死だったのでしょう、
‟オカンが作ったリハビリプログラム”に
ついてきてくれて。

 

そうして2度目の骨折から復帰して
しばらく経った中3の春のことです。

 

約6ヶ月もの間
まともにサッカーができなかったにも関わらず

県トレセン(代表)に
公立中学からただ1人選出され
(他は全員クラブチーム所属)
末席に名を連ねました。

 

 

ふるい落とし選考が何度もある中
翌年の国体メンバーにも残れたんです。

 

 

小学生の時は
身長が低い・キック力がないという理由で

 

地域トレセンに入ったり
落とされたりしていたので
そうした結果は
思ってもみなかったことでした。

 

 

けれどもこの経験が
私にとっても長男にとっても
ターニングポイントになりました。

 

 

サッカーの練習はもちろんですが
目的に沿ったトレーニングをすれば

そして誰もがやらないことを
きっちりやりさえすれば

 

身長が低くとも(長男は今でも166㎝)
目覚ましい身体能力に恵まれずとも

光が当たる機会も訪れるのだと
分からせてもらいました。

 

 

長男はこの
「やったら変わった!」経験が土台になり

「できた⇒次もやれる⇒もっとできる」
式の思考回路になりました。

 

私は私で息子を応援する母として
またトレーナーとしての在り方の
ベースを手に入れました。

 

そして

「恵まれていないカラダの選手が
どうやったらもっと上達するんだろう?」

という探求が始まりました。

 

 

一方、次男はサッカー一直線
…ではありませんでした。

 

 

ところがこの彼の歩んだ道は

スポーツをする意味
スポーツの本質

地域スポーツの現状
親や指導者がどうあるべきか

そんな沢山の気付きをもたらせてくれたのです。

 

 


 

 

次男は長男の影響で
小1からサッカーを始めたものの

小4でソフトボールに転向
小5の終わりからは陸上、フットサルも経験しました。

 

 

小3の終わりに
サッカーを辞めたいと言い出したとき

それまでの私なら
途中で辞めたらダメと反対するのですが

 

当時のクラブの指導者陣に
抑えきれない疑念が生じていたことや

 

保護者の人間関係が
うっとうしくて(!)
彼の言う通りにしてやりました。

 

 

そうして本人は
ソフトボールも頑張っていた…

 

けれども私の方は
校内で喫煙や飲酒をする指導者陣に
ビックリしました。

 

 

人数の少ないチームなのに
派閥だのなんだの
試合に出れる・出れないなど

 

陰で子どもの悪口の言い合いをし
指導者と私生活も仲良くしようとする
保護者たちにヘキエキしました。

 

 

何より公式戦で替え玉という
不正を行うことも良しとする
「ここでは当たり前」に耐えられませんでした。

 

 

替え玉について次男から
「お母さん…こんなことしていいの?」
と訊かれたとき

「ここでは当たり前」に
従うべきか親として迷いました。

 

 

「ここは子ども主体のソフトボールの世界。

親の価値観や
私情を優先させるのはおかしい!

西川さんとこはレギュラーメンバーやのに
監督の意向にそわず
チームに迷惑をかけるなんてとんでもない!」

 

そう言って
私を責める他の保護者がいたからです。

 

 

けれどもやはり
「スポーツを何のためにさせているか?」
と考えたとき

 

このクラブでやっていることは
スポーツ以前の問題で
子どもを汚す行為だと思いました。

 

 

次男にも私の考えを正直に話し
本人も納得したので退部。

 

(監督たちにはむちゃ非難されたけど
今でもまったく後悔してません!)

 

けれども所属先がなくなって
ヒマを持て余す様子の次男を見て

 

成長期のこの子のチャンスを
1つ潰してしまったかも?
辞めグセをつけさせてしまったかも?

と本当に悩みました。

 

それでも
色んなことをする機会ができたと
開き直ることにして

これまで出来なかった
土日のお出かけなど楽しみました。

 

 

6年生になって
陸上クラブに入り
フットサルを習いに行きだしたら

 

サッカーが楽しくなったので
中学入学と同時に地元のクラブチームに。

 

 

入部して2年ほどは
ブランクに苦しんでましたが

それでも
色んな競技をやった経験が
技術を積む強みになる。

 

…そう思っていたら

 

本人のがんばりと
良い指導者にも恵まれて
次男も中3の秋に県トレセンに選ばれ
翌年は国体選手として試合に出ました。

 


 

当時の私は
独学のスポーツ科学オタク。

今から思うと
ハウツーしか知らない人間でした。

 

それでも
息子たちの成果を見た同級生や
先輩たち、保護者から
色々と相談されるようになったんですね。

 

それが重なると

「もっと責任を持って応えられる
専門的な知識を深めたい!」

と強く思うようになりました。

 

一時は「中年女がなれるはずない」と
あきらめかけたのですが

周りの応援と
「どうしてもなりたい」気持ちがあって。

 

 

資格をとり勉強しまくりながら
息子たちや周りの選手たちの
相談に応える日々でした。

 

 

このときの選手たちとのやりとりは
私の「人を育てる」ことについて
ちょっとした確信をもたらせてくれました。

 

 

①良くなりたくない選手はいない。

良くなれる道や歩き方を知らないか
方向をまちがってる

 

②性格やカラダの強みを見つけ
また使ってない能力を引き出すと

本人も知らなかった自分の力を感じられて
面白いようにバージョンアップする

 

 

だから
潜在能力(伸びしろ)にアプローチして
良くなれる道に導いてあげれば

 

その子が自分に誇りを持って
幸せに人生を送れるほどの
バージョンアップをさせてやれる。

 

 

この確信が自分のこれからの使命を
はっきりと教えてくれました。

 


 

誰しも
「なぜかうまくいかないとき」
を経験します。

 

スポーツの場合は
ケガや不調に悩まされるときが
そうですよね。

 

そのときみんな考えるのは
「元の状態になる」ってこと。

(※リハビリの「リ」は「Re」
「元の」ってイミでしよ)

 

 

でもそれはちがう。
元通りにはなれない。

 

生きている限り
今この瞬間もどんどん
カラダも状況も変わっているから。

 

だったら元の状態じゃなく
バージョンアップしようよ!

 

って思うんです。

 

自分を良くしたい!変えたい!
この心と向き合っていると

 

いつのまにか
これまでとは同じでいて
違う場所に立てています。

 

その場所から見る景色は
これまでとまったく違って見える。

 

その視覚力も知覚力も
ずっと息づいていく。

 

私自身も息子たちもそうだったから。

 

 

だから
心もカラダも
いちばんしなやかで伸びる育成期に

 

そこでしか見れない景色を見せてあげたい。

それが子どもと関わる大人の責任なんだと
12年前と同様に
鼻息荒く思っています。(笑)

 

 

しかも
バージョンアップ復帰した強みは

一回でも経験したら
何度でもずっとしていけるんです。

 

 

もう元の場所には
いたくなくなるから。

 

 

そんな経験をカラダと心でする選手が
もっと増えたらいい!

そんな野望が今の私にはあります。

 

以上

「バージョンアップ復帰」が
産声を上げた頃のお話でした。

 

ここまで読んで下さって多謝です。

 

Posted by 西川菜緒子